地域医療再生プログラムとは?
第1回 「医療崩壊」と千葉県の医療
?千葉県は全国的な「医療崩壊」のシンボル。だからこそ再生のモデルにもなり得る?
2011. 9. 1 文/桶谷仁志
また、医療費の対GDP比(下図)でも、日本は8.1%で22位となっています。しかも、日本の高齢化率は2005年の国勢調査の時点で20.2%と、先進各国の中でトップを走っています。今後も2050年(予測は39.6%)にいたるまで世界一を継続すると予測されています。高齢者が増えるほど、多くの医療費、医師数が必要なことは言うまでもありません。
つまり、日本の医療提供現場(病院)では、以前から比較的少数の医師が、少ない医療費(医師にとっては診療報酬)で、年々大きくなる一方の医療ニーズに対応してきたと言っていいでしょう。にも関わらず、1980年代以降、政府は長年にわたって医師数、医療費の抑制政策をとってきました。とりわけ小泉政権下の2006年(平成18年)に、診療報酬はマイナス3.16%という史上最大のマイナス改定を記録しました。
さらに、2004年度からスタートした新臨床研修制度も大きな影響を与えました。これまで若い医師の進路を実質的にコントロールしていたのは大学の医局でした。医局が行っていた医師の適正配置の機能は、新臨床研修制度では引き継がれませんでした。
新臨床研修制度では、大学を卒業し医師国家試験に合格した医師たちに、2年間の臨床研修が義務付けられています。また、学生たちが臨床研修を受ける病院を自由に選べるように、全国的なマッチング制度が取り入れられたのです。この新制度の下で、若い医師たちの多くは、地方よりも都会の病院を、大学附属病院や自治体病院よりも私立の市中病院を、臨床研修の場として選ぶようになりました。
新制度が始まって、大学病院の医局は一気に弱体化しました。制度の導入当初は、2年間の臨床研修後は、若い医師の多くが医局に戻ってくるだろうという楽観論もありましたが、実際は医局に戻る若い医師は激減しました。人手不足に陥った大学附属病院は、従来のように地方の関連拠点病院、自治体病院に若手医師を派遣し続けることができず、逆に派遣していた医師を、早期に引き上げざるを得ない状態になりました。こうした趨勢が、はっきり固まった区切りの年が2006年(平成18年)だったのです。