医療者から見た地域医療のいま
「病気を診ずして、病人を診よ」を実践して40年
2012. 09. 05 文/梅方久仁子
古くから地域に根ざして患者さんを診ている、地元密着型の「かかりつけ医」にご登場いただき、仕事への考えや地元への思いなどを語っていただく新連載。第1回は匝瑳市の守医院院長である守正英氏にお話を伺った。
医師になるしか道はなかった
匝瑳で開業されたのは、そのあたりのご出身だからですか。
守 匝瑳市の八日市場に母の実家がありました。父は長崎出身の軍医で、私は1943年に旧満州で生まれました。父が戦地に行って、母と私は父の実家で暮らしていましたが、たまたま母の実家を訪ねていたときに長崎に原爆が落ちたんです。それで父方の祖父母が亡くなり、父は終戦後に帰国してから、母の実家の近くで開業しました。
お父さまは、どんな開業医でしたか。
守 父は外科医でしたが、何でも診ていました。当時は、農村で衛生状態が悪く、下痢などの感染症が多かったようです。また、往診を頼まれると、絶対に断りませんでした。自転車で片道30分くらいかかるところにも行くので、2軒回ると朝まで帰って来ないこともありました。
父の姿を間近に見ていたせいか、私も往診を断ったことはありません。多いときは1日に5軒くらい回ります。今は車ですから、片道15キロくらいの距離まで往診に行っています。
それで、守先生はお父様の後を継がれたわけですね。
守 まあそうですが、実はそう簡単ではありませんでした。私が中学2年生のときに、父が病気で亡くなったのです。
看護師だった母は、私に何とか後を継がせようと、医院を続けることにしました。業界紙に広告を出したりして代わりの医師を探して、診察してもらったのです。いろいろな先生に5、6人はお世話になったでしょうか。その頃お世話になった先生とは、今でも親子のような関係が続いています。ともあれそうやって母が医院を守っているので、私には医師になる以外の道はありませんでした。