地域医療ニュース

ベストセラー「『平穏死』のすすめ」の著者が語る
これからの幸せな最期の迎え方

2013. 07.05   文/大森勇輝

 人はいつか必ずこの世を去る。ところが日本では、「死の迎え方」という人生最大の問題について語ることが、とかく忌避されがちだ。
 そんな風潮に異を唱え続ける医師にして作家、石飛幸三氏による講演「変革期の時を迎えた高齢期終末期の医療と介護」が、2013年3月28日、茂原市民会館で行われた。
 大病院を辞め世田谷区立特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医師となった石飛氏の考える、その人らしい最期の迎え方とは? そして、これから求められる医療のあり方とは? 非常に難しい問題を、石飛氏が平易な言葉で解説した。

日本人がなおざりにしてきた「最期の迎え方」

石飛幸三 氏

 石飛氏は、まず、自身がなぜ病院を辞めて特別養護老人ホームの医師となったのかといういきさつを説明しつつ、科学や医療の問題点を指摘した。

 すなわち、人間を含めたすべての生き物は、やがて自分の口では食べられなくなり、一生を終える。ところが、科学の発達により延命治療法が次々と開発されると、方法があるなら延命しなければという方向に進んでいく。そして、助かる見込みがまったくない患者に対しても延命をしなければ、刑法219条(保護責任者遺棄致死罪)で罪に問われるのではと考えるようになった。これは本来、人のためにならなければいけない科学や医療の目指すものとは逆なのではないか。

 その結果、明治時代に定められた刑法はそのままに、人間の尊厳、最期の迎え方という大事な問題を、日本人はずっとなおざりにしてきた。自身も急性期病院で手術によって命のピンチを救うことを目標に働いてきたが、ピンチを救ったその後については、何も考えていなかった。本当に命を救うだけでいいのか。そんな疑問を感じ始めたころ、世田谷区の特別養護老人ホーム「芦花ホーム」に空きが出たため、2005年に移ったという。

特別養護老人ホームでの胃ろうの実態

 石飛氏は、芦花ホーム(以下、ホーム)に来てよかったことが2つあると語った。

 一つは、まさに「方法があるならやらねば」という医療こそが患者を苦しめていると分かったこと。もう一つは、高齢者が増え続ける日本の社会を、若い介護士、看護師たちが支えているという姿が見られたことだという。

 しかし、赴任当初のホームは大変な状況だったという。とりわけ、摂食に関して、介護士は「3食食べさせることが、我々の腕の見せどころ」と、食べ物を受け付けなくなっている人へも、食事介助を続けた。結果、誤嚥性肺炎が後を絶たず、ホームはさしずめ「肺炎製造工場」の様相を呈していたという。