地域医療ニュース
ベストセラー「『平穏死』のすすめ」の著者が語る
これからの幸せな最期の迎え方
2013. 07.05 文/大森勇輝
また、認知症の女性が入居してきた際、その夫が「絶対に胃ろうはつけさせない」と宣言した。ホームとしては、裁判のトラウマがあり躊躇したが、石飛氏はその意思を尊重。結局、職員とその夫が協力してゼリー、プリンなどを食べさせ続けた結果、1年半生き続け、最後は眠るように亡くなったという。その際、石飛氏が驚いたのが、最後まで痰の吸引の必要もなく、しかも亡くなるその日まで排尿をしたこと。半世紀も急性期病院で働いたが、点滴を最後までしないという事例は知らず、体には何かを入れなければならないとずっと思っていたのだ。そこで気がついたのは、自然な最期とは余分なものを捨てて、体の中を整理しているということだった。この2つのケースを経て、職員の意識も変わっていったという。
石飛氏によると、胃ろうをつけたら、つけた側に管理責任がある。飛行機にたとえるなら、燃料を入れすぎたら墜落しまうので、カロリーを機械的に管理するのではなく、状況に応じて1000キロカロリーから800、最後は600~400キロカロリーというように軟着陸させるのが管理する側の責任だとした。
上記2件のケースのあと、他の患者に対しても“軟着陸”させる方針を立てた。それ以降は肺炎で病院に運ばれて亡くなる人の数も減少した。余計なものを体に入れないことの良さを家族も職員も理解した結果、穏やかな自然死が増えたという。
また、石飛氏は再び刑法219条に触れ、刑法は延命治療が発達していない明治時代のものであることを指摘。今は、延命措置の方策があるのにそれをしないと刑法により処罰される現状がある。刑法219条が時代にそぐわなくなっているのに、尊厳ある死についてしっかり議論していない。法というのは国民のコンセンサスに従うものなので、今こそ日本人が議論しなければならない。そんな時代が来ていると石飛氏は語った。
「平穏死」について語る
さらに、石飛氏が提唱する「平穏死」について語る。これは、老衰が進んだ際、延命の方法があったとしてもやらなくてもいい、つまり「何もしないこと」が免責される概念だという。法律家などと議論を重ねたものであり、医師が患者を意図的に死に至らしめる「安楽死」とは違うものだと説明した。